早稲田大でも教えている東浩紀編集の「日本的想像力の未来」。
東工大で行われた国際シンポジウムの記録を編集しなおしたものらしいです。この前日本に帰ったときに買ってきたのですが、海外にいると日本というものについて考える事も多くなって、その中で日本の「カワイイ文化」だとか、「オタク」だとかに関して改めて興味を持ったのでした。
で、自分が特に知りたかったのは、なんで日本に「カワイイ文化」が根付いたのか。そしてなんでオタクは「オタク」なのか。なんで「オタク」がクールなのか。
それでこの本ではある程度の前提として、第二次世界大戦での敗戦が大きく影響しているということ。敗戦したことによってそれまで日本に根付いていた「強い父性」の地位が失われて去勢されてしまったと。いうのが皆さんの意見のようでした。
まとめると、<敗戦/近代化→父性の失墜→母性へのノスタルジア→マザコン化>ということ。
で、<平和憲法→戦争が禁じられた→もう戦争は起こらない→戦後からは脱出不可能?>
戦争をする事=成熟なんだと。なんだか「カワイイ文化」からは少しずれましたが、結局日本には戦後を未だに引きずる停滞した空気が漂っているということらしい。
ただ今変身中! |
で、結局「カワイイ文化」の話ではなくなってしまったけども、その著者の言っていることから考えるに、トリックスター的存在が戦後の日本ではずっと求められてきたんだろうと。この停滞した戦後状態から脱するために。前の戦争があって、次の戦争があって・・・っていうサイクルの中では、日本は完全に次を失っているから先に進めない。だから停滞している。
だからその流れを断ち切って欲しい。ということ。そこで必要になるのは時間軸をずらしたり、それ自体を作り変えたり、現実と虚構を曖昧にしたり。それはまさにトリックスターの仕事。
で、ここでやっと「オタク」の話につながるのだけど、現実と虚構を曖昧にするってまさに「オタク」イメージにぴったりじゃないかと。ということは、そんな事をしたってサイクルからは抜け出せないし、成熟する事はできないという事なんでしょうか?という疑問につながるのです。
My Lonesome Cowboy |
で、あれ、これこそトリックスターじゃないの?って。
というわけで、「オタク」・「アニメ」・「日本文化」が世界で受けるようになってきているのは、こういう21世紀におけるトリックスター的存在が世界の色んなところで求められるようになったからではないかと思ったのでした。
成熟と未成熟の曖昧さとか、そういうことを全て混ぜて訳分からないモノにしたのが「カワイイ」であるとも言えるんじゃないかと。ふー、やっと「カワイイ」に繋がりました。いぇーい!
と、まぁそんなことを考えていたのでした。もっと本読まなきゃなー。
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