2/19/2011

Surrealism @ NACT

東京の国立新美術館で5月9日まで開催中の「シュルレアリスム展」。
パリのポンピドゥーセンターからマグリットやダリ、キリコやミロなどを借りて展示するようです。
なかなか大規模な展示なようで見ごたえはありそう。
企画展天国の日本では大うけするんでしょう。恐らく。


ところで、今までの旅行でロンドンやパリ、バルセロナ・・・と色々と周ってきましたが、自分は美術館とか好きなのでどこに行っても何かしらの展示は観に行ってきました。ただ、テートモダンやポンピドゥーセンターは余りにも規模が大きすぎて、旅行者には到底消化しきれないのでした。
しかし、そうはいっても印象に残る作品とかは間違いなくあって、じーっと立ち止まったりボーッと眺めたりして、目に焼き付けたりする訳です。
で、今回思ったのはそういう沢山の作品を観てきて、最終的に一体何が自分の中で記憶に残っているのかという事。

自分は美術史とかよく分からないので半分適当ですが、写真の誕生と共に写実的な絵画は限界を迎えて、どんどん抽象絵画だとかに流れは移行して来たんだと思うのです。
その中で、一つの流れとしてもてはやされて大ブームになったのがシュルレアリスム。
自動筆記とかも取り入れたりして、物語性を排除した夢とか幻想の記述に凝ったわけです。
で、自分はシュルレアリスムがあまり好きではないのです。なにがかというと、その技法。
アイディアは面白いし、なるほどーと思うのですが、どうしてもあのノッペリとした絵が好きになれない。だからシュルレアリスムの写真作品とかはまだ好き。

で、ここからが本題なのですが、そんな好きでもない一連のシュルレアリスム作品が、今思い返すと一番記憶に残ってるのです。記憶に残ってるというよりは、記憶されているという感じ。頭の片隅にベットリとイメージが残って消えていかない感じなのです。モヤモヤする。
そもそも人間の無意識だとか夢だとかをテーマに扱っているものだし、脳にヒットしやすいんでしょうか?それが狙い?まんまとハマってしまったのでしょうか?

あと、シュルレアリスムについてもう一つ思ったこと。
特に思ったのはスペインのフィゲラスにあるダリ美術館で。
建物からして独特で、エントランス、中庭、もちろん展示作品まで、全てがダリのデザインでシュルレアリスティックに構成されているのですが・・・もの凄く疲れたんです。

Dali Museum @ Figueras
面白い作品を面白く配置してあって、凄く楽しいんですが、あまりにも脈絡が無い。コレは当然で、物語性の排除が一つの目的でもあったわけで。
だからもの凄く疲れるんです。やっぱり、人間はどこかで物語を求めてしまってるんだと思うのです。
つながりを見出したい。法則を見つけたい。始まりがあれば終わりもあるはず。って。そういう風に、知らない間に教育されて、社会化されているのだなーって実感したのでした。

と、いうわけで。こういう視点から見てもシュルレアリスムは”面白い”と思います。
もし今日本にいたらじっくりゆっくり周ってみたいですね。でも凄い混雑でそんな風にのんびりしてられないのかな・・・。雨の日とか嵐の日とか、人が少ない日があれば、ぜひ。

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Maira Gall