6/29/2011

SG National Garden

今日は生まれて初めて新宿御苑に行ってまいりました。
今のバイト先に近いこともあって行く機会も無くは無かったのですが、無料じゃないこと(大人は200円)と天気に左右されることとか諸々が重なって今まで行くことは無かったのでした。

都会のど真ん中で一休み…
日陰でごろごろ…
で、とてもよかったです。
今の時期バラがシーズンらしく、バラ園ももちろんありましたが、自分はやっぱり広い芝生が好きなのでもうごろごろごろごろしてました。新宿バルト9のすぐ先というのにそこだけハイドパークみたいなとても不思議な感じでした。プラタナス並木とかもパリみたいで。

たまにはこういうのもいいですね。
欲を言えば無料のこういう公園がもっといろんなところにあればいいのになって思います。御苑は4時半までなので日没は見れないのですが、ドリンク持ち込んで夕日見ながらボーっとしたりとかいいですよね。平日だったら混んでないしオススメです。あ、スポーツは禁止ですよ\(-o-)/

6/26/2011

P, P and F

改めましてこんばんは。今さっきまでドラマの仁の最終回を観てました。
いやぁ、よかったですね。予想以上に綺麗にまとめてくれたような気がします。どうせスペシャルか映画に引き伸ばすだろうと思ってたので最後の意味深な感じに文句は無いです。はい。


で思ったのは、この前の金曜に同じく最終回を迎えた「あの花」にしろ、ノイタミナ枠だった「C」も、この「仁」にしても、結局言いたいのは”過去にとらわれずに前を向いていきましょうよ”ってことな気がしました。過去(/未来)のことを気にしたってしょうがないんだから、今生きてるこの時間を大事にしましょうよ!みたいな。あれ、違うかな?まぁ、自分はなんとなくそう思ったわけです。

というわけで、過去とか未来とかってやっかいな物なんだなぁって改めて思ったんですね。
これだけ根本的にテーマとして扱われるってことは、それはもうほとんどの人にとって物凄く根が深い関心なんだろうなって。確かに、これ程までに巨大で漠然でどうしようもなく不安を誘ってくるものってなかなか無いですよね。恐ろしや・・・。それに加えて今の日本(/世界)の情勢を考えると、さらに恐ろしいですよね。まさに先行き不透明って感じ。だからこそこういうストーリーが求められてるし、支持されるのかな、なんて。もちろん普遍的にウケるテーマではあると思いますが。

うーむ。分かってはいても難しいですよね。後悔したって仕方ないし、確かなことなんて無いならそんなこと考え過ぎずに今のことだけを考えればいいのにって。といいつつあんまり悩んだりしないんですけど(笑)

なんてことを考えた夜11時なのでした。ではではおやすみなさいませ。

Suck It And See - Alex Turner



ついに前回の更新から一週間が経ってしまいましたねぇ。
継続は力なりって言いますが、なかなか難しいですなぁ。というわけで一週間を振り返ってみたわけですが、今週は行こう行こうと思いつつ全然美術館にも行けず、めんどくさくて映画も行けず、なにしてたんだろ・・・って感じなんですが、楽しかったからいいかって思ってみたり、でもなんかあるはずだ!なんて思い返してみると、ブログに書いていない真新しいことという事で、新しいバイトの事しか思い浮かびませんでした。はい。

というわけなのですが、そのバイトについてもあんまり特に書きたいことも無くて(笑)
こうなったらしょうがない!ということでイケメンの最新情報をお届けしようという所存であります。
どうでしょ。イケメンですねぇ。明らかにカッコつけてますが、それすら愛くるしいですねぇ。
という感じです。あははは\(-o-)/

6/19/2011

The View are on fire!!

今年の4月くらいにすでにリリースされていたThe Viewの3rdアルバムですが、つい先日やっと聴くことが出来ました。もうね、すんごくよいです。

新譜といえば、例のArctic Monkeysもこの前4thを出しましたが、あれもArcticっぽくてよかったですね。一枚目で爆発的に大ヒットを飛ばしてスターダムにのし上がってきたと思ったら、毎回アルバムを出すたびに方向性が変わっていってどんどんと大人なバンドになっちゃった彼ら。それはそれで凄くよいです。好きです。でもやっぱりThe Viewみたいにほとんど方向性を変えないまま楽しく活動してます!って感じのバンドも好きだなって思ったわけなのです。





ドラッグ関連の事情で来日は当分出来ないといわれている彼らですが、出来ればいつか今度こそ日本でライブにいきたいなって思ってます。リバプールでのライブは物凄く印象に残っているんですよね。あんなにハイトーンなボーカルだから絶対生演奏では酷いんだろうなって思ってたんですが、実際に聞いてみたら全くそんなことは無くて、びっくりしました。もちろんバンドとしてもっと上手い人たちはいくらでもいると思うんですが、彼らはバンドとして凄く完成度が高くてカッコよかった。

新譜のプロモーションツアーとか行きたいんだけどなぁ\(-o-)/

6/18/2011

ANOHANA

前回の更新が日曜日ということは、ほぼ1週間経ってしまいましたね。
いやはや、早いものですなぁ。

というわけなのですが、今回はアニメ話。
留学前はほとんど見ることなかったんですが、留学中に暇な時間をつぶす為に見始めてから未だに習慣になってしまっているのがアニメのチェックなのです・・・。たいてい1クールにつき2,3本は面白いのがあるかな?って感じですね。個人的には。


で、今回一番楽しみに見ているのが「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」。
結構話題になってるみたいですね。特に自分達大学生の間では。
舞台は秩父の方の町で、まぁなんやかんやあるわけなのですが、なんだか痛いところをついてくるような絶妙な感じなのです。絵も綺麗だし、シナリオも毎週期待させてくれるし、面白いですね。なにより全キャラがそれぞれに特徴があってよい。初めにこのアニメのタイトルを見たときは例の月9的なタイトルだななんて思ったのですが、ちょっと違いましたね。

というわけなのですが、話が少しややこしいのでここではなんと書けばよいのか自分には分かりませんでした。結局よく分からない記事になってしまいましたが、そんな感じで。

6/13/2011

Paul Klee @ MOMAT

今日は念願だったクレーを観に東京国立近代美術館に行ってまいりました。
企画展って高いな・・・って思っていったのですが、実は文化構想学部はキャンパスメンバーらしく、割引の800円で入場できました。お得感がありますね。文構生でよかった。

というわけなのですが、なかなか見ごたえはありましたねぇ。
展示方法も少し凝っていて、クレーの制作方法と変遷を追う形でいくつかのセクションに分けられていて、それぞれの作品数も結構な分量でした。日曜でしたが混み過ぎ!ってほどでも無かったのでお勧めかも。東西線の竹橋駅からすぐだし、文構生には特にオススメ!

で、クレーさんですが、自分の中では1月に旅行で行ったヴェネチアのグッゲンハイム美術館にあった絵のイメージが強くて、結構驚きでした。もちろん色使いとか雰囲気とかは同じでしたが、絵のスタイルも結構違って面白かったです。特にこういう絵とかは面白かった。あ、似てるか?

《バルトロ:復讐だ、おお!復讐だ!》1921, 5
この絵は、下書きになっている素描と共に展示してあったのですが、実際にクレーがこの絵を制作したときには、その素描を使って間に黒塗り紙を挟んで線を転写して作成したようなのです。
ちなみに、その元の素描がこちら。

《ドクター・バルトロ1921/5のための素描》 1921, 40 
面白いですねぇ。単純だけど、その工夫がなんともいえないこのふんわりした感じを出したりしてるんでしょうかねぇ。不思議です。それで思ったのは、描かれているもの自体はどこかアニメちっくで可愛い有機的なものが多かったんですが、その素描を転写するっていうプロセスがあるからそこに何か人工的な冷たい感じが入り込んでくるのかななんて思ったりもしたのでした。
あったかいのにどこか冷たい。みたいな。不思議な絵でした。

という感じだったのですが、この後神保町に移動して念願の板付きたい焼きを頂き、さらにそこから飯田橋経由で神楽坂まで歩くというすばらしいお散歩となりまして、最高にいい気分だったのでありました。愉快愉快。よい休日になりました。おなかいっぱいでござる\(-o-)/

6/11/2011

All worldly things are transitory.

ついさっき、村上春樹氏がスペインのカタルーニャ国際賞の授賞式で行ったスピーチの原稿を読んでいて、少し思うことがありました。
日本国内のみならず世界中に読者を持つ村上氏ですが、自分はなんとなく好きじゃありませんでした。あの独特な淡い酸っぱい感じが苦手で。でも、高三のときに旅行で行ったエディンバラのタワレコにHaruki Murakamiコーナーがあって、結構な量の英訳本が平積みにされてるのを見たりして、あぁこの人はもしかしたら凄いのかもしれない、なんて思ったりもしていたのでした。

僕が村上でーす\(-c-)/
で、話を戻してスピーチのことですが、さすがに村上氏だけあってすばらしい文章。言葉の選び方とか起承転結とかは言うまでもなく、冷静でありつつ強く訴えかけてくるような力強い文章。
個人的にですが、どことなく糸井重里さんの文章みたいだなって思いましたねぇ。分かりやすく落ち着いているんだけども、力強い。これもある種のコピーですもんね。気づかないうちにその気にさせられちゃいそうでちょっと怖い・・・。だからこそ文章って面白いとも思うんですが。
あ、でもこういうところが文学好きの人に村上春樹が毛嫌いされてる理由なのかも。読んでるとなんかほっとして落ち着いてって、これは確かに”文学”っぽくはないのかもな。渡部 直己氏曰く、触れた者はその前と後では人生が全く変わってしまうようなもの。事件のようなもの。それが”文学”であると。村上氏は真逆かもしれないですね。(村上春樹的な)読み物≠文学なんだそうです。

また話がそれました。っていうかもはや何を書くつもりだったのかも忘れてしまいました。

あ、諸行無常の話でした。そうそう。
村上氏はそのスピーチの中で無常という言葉を何回か使っているんですね。
ヤフー辞書によると、無常:この世の中の一切のものは常に生滅流転して、永遠不変のものはないということ。特に、人生のはかないこと。また、そのさま。だそうです。

そこで村上氏が言っていたのは、
どうして(日本人は花見や紅葉狩りに熱心に出かけるの)か?桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。…そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
ということ。 震災のこととは直接の関係は無いのですが、こういう感性ってやっぱりあるなぁって思いました。今ここに確かにあるコノ物っていうよりも、かつてあった若しくはいつかなくなるであろう何かの方が儚くて美しいように感じるなって。
そして、さらに村上氏が付け加えていたように、この無常観にはもう一つの側面が備わっているんだなっていうこと。それは、
滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きといき続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性
諦めっていうとなんかネガティブに取れますが、それだけではない前向きな意識って言うとこれはすごいんじゃないかと思うわけです。だから日本も捨てたもんじゃないのかもって。
諦めてばっかりじゃダメですね。次へ次へ。そんなことを考えていた今日この頃でした。

6/08/2011

Asami Usuda



突然ですが、臼田あさ美さん好きです。かわゆすぎる。
高校のとき?にめざましの10分間コーナーみたいなところで見かけて以来、ずっとファンです。まぁ、ファンといっても何か買ったりサイン会行ったりとかではないけども・・・。
いいですねぇ。ドラマ鈴木先生でもそのキュートな魅力を大量放出していらしゃる臼田さん。
かわゆい。かわゆい。ただただかわゆい。

6/07/2011

American Bison @ Ueno Zoo

この前久しぶりに上野動物園行ってきました。懐かしかったぁ。
ちょうどパンダも来てたし、晴れてたし、日曜日だったというのもあって結構な人出でしたが、案外すんなりとパンダの前までいけて驚きでした。そしてフラッシュにまぶしそうに手で目を覆って寝ているパンダさんもたいそう素敵でした。えへへ。
というわけなのですが、実は自分が上野動物園の生き物たちの中で一番好きなのはアメリカンバイソンなのです。どんな生き物かといいますと…
体長240-380cm。肩高200cm。体重500-1100kg。メスよりもオスの方が大型になる。成獣は頭部や肩部、前肢が黒や褐色の長い体毛で覆われる。っていう牛です。別名アメリカヤギュウ。(wikipediaより)
おっきいんですよ。ダイナミックなんですよ。でも超可愛いんですよ。
ちなみに写真はこんな感じ。

こっち見てます。かわゆい。
走ってます。白黒ですけど。プルプルしてます。
いいですよね。これは絶対に見るべきですね!上野動物園の隠れたアイドル!
晴れていると外の運動場にいるんですが、その運動場には猪的なやつと一緒に入れられてるんですよ。で、その様子がまたかわゆい・・・。こんなに恐ろしい見た目なのにもかかわらず、おとなしく座ったりのそのそ歩いてたり、たまに猪と鼻チュウしたり。で、雨のときは運動場の隣の小屋にいるんですが、そうするともうこの一頭で小屋がいっぱいになっちゃってるんですよ!もうその狭そうな感じが情けなくて哀愁が漂っていて、かわいそうだけど素敵なんですよねぇ。

うん。そういうことです。うん。

6/05/2011

Richter & Twombly

昨日はゲルハルト・リヒターとサイ・トゥオンブリーの新作展を見に行って来ました。
場所は六本木のWako Works of Art。入場は無料でした。残念ながら昨日が最終日だったようなのでもうやっていないみたいなのですが、なかなか面白かったです。

リヒターはガラスとラッカーを用いた作品「アブダラ」のシリーズを、トゥオンブリーは極限まで近づいて撮影された「チューリップ」のシリーズの展示でした。


ギャラリーに入ってまず目に入ってきたのがトゥオンブリーの「チューリップ」シリーズの作品数点。もはや焦点が分からないほどのその写真はなんだか、写真なのか絵画なのかよく分からないような感じで、非常に不思議でした。あと、チューリップであると同時に、それはただの静物写真では無い一種のヌードの様に見えるような気もして、非常に面白かったです。視線を意識しているかのようなチューリップの姿がやけに艶かしくて、じーっと見てしまいました。

リヒターですが、展示されていたのは約10枚程でした。一枚を除いて、先ほどの「アブダラ」シリーズの作品群だったのですが、これがまた面白かった。地層のようでもあるし、なにかの風景画のようにも見えるし、そこにいた某おじさんが言っていた事だけど、中国の石細工みたいでもあるし。なんか、単純に見ていて楽しい作品でした。

という感じだったのですが、その後たけはしというお店で絶品親子丼を食べ、その後は友人と3人で噂の原価バーに行き、非常に愉快な一日となりました。一人でいるのも楽で楽しいけど、やっぱり誰かと会ったりするのも素敵ですね。なんて当たり前のことを再確認したのでありました。

6/04/2011

Emptiness as Limitless Potential

今日は大学の図書館で本を読んでました。原研哉さんの「」。
まだ半分かーって思ってたら後ろ半分が英訳だったので案外一瞬で読み終わってしまいましたが、内容はとても面白かったです。はい。

テーマとして、白という色を”無”色として扱うだけでなく可能性にあふれた”コンセプト”として捕らえるといった感じ。それに日本の伝統文化とか信仰とかを絡ませてもあって面白かった。

で、その中で取り上げられてたのが伊勢神宮の式年造替。伊勢神宮は20年に一回全ての建物を壊して造り替えるんだそうで、しかもそのときに使う図面は毎回新しく書き直すらしいんです。記憶と口承を頼りにその時々の技術や文化を取り入れて生まれ変わりながら続いていく伊勢神宮。なんだか非常に面白いです。

「松林図」 長谷川等伯作
日本の神道における神のとらえ方についても書いてあって、ある土地を縄で四角く囲む。するとそこに空間が出来るので、神が降りてくる”可能性”が生じる。日本人は古くからその”可能性”に手を合わせてきた。ということでした。そういうところからも感じられる日本に根付いている余白の美徳とかってやっぱりあるんだなって思いましたねぇ。白・余白があるからこそイマジネーションがかき立てられて、各々が頭の中で創造し間を生めることで作品が完成する。だからこそ余計にリアリティが出る。なんか分かる気がしました。白って素敵ですね。
© TokioObscura
Maira Gall